熟練社員のノウハウ「暗黙知」が失われる
製造業のバックヤード業務、特にBtoB製品の技術相談やトラブル対応などでは、ベテラン熟練社員の持つ知識やノウハウ、経験や勘といった暗黙知に依存している。こうした業務の属人化が、安定した事業継続や業務改革に向けての大きな課題となっている。
BtoB向け製品のテクニカルサポートやお客様相談センター業務を受託しているSCSKサービスウェアでは、製造業の相談窓口の一次受けとして、オペレーターが問い合わせに応対している。同社のコールセンターには、実に様々な問い合わせが寄せられるという。例えば、業務用空調機の相談窓口の場合、製品1つとっても型番も多数で、問い合わせ内容もトラブルや設定、配線・配管など、多岐にわたる。
とはいえ、サービスガイドや配電図、配管図などの製品資料を見れば、一般的なオペレーターでも、7から8割は回答できる。しかし、残り2、3割の質問に正しく回答するには、製品に対する深い知見と、トラブル対応の経験が必要になる。
「例えば、『空調機にエラーが表示された』という問い合わせに対して、BtoC向けの製品であれば対処策は少なく、資料を見れば応対は容易です。しかし、BtoB向け製品の場合は、設置場所や施工方法などによって、対処策が多岐にわたっており、資料を見ても回答できないケースがあるのです」(SCSKサービスウェア株式会社 第三事業本部 事業推進部 事業開発課 課長 種子田 竜介)
コールセンターで回答できない場合は、メーカーに相談することになる。こうした技術難易度が高い質問に対応するのが、メーカーの熟練社員だ。
「メーカーの熟練社員は、元は設計者だったり、現場で作業をしていたり、営業に長年従事していた方たちです。過去の経験から、『こうすれば問題を解決できる』というノウハウや経験値があります。しかし、こうした暗黙知は、可視化されていないので、その社員に聞くしかなく、属人化しているのです」(種子田)
そして、豊富なノウハウや経験値を持った熟練社員も、高齢化が進んでいる。
「熟練社員の平均年齢が70歳、65歳というメーカーも珍しくありません。後進育成が進まず、定年退職された方にも、何とか残ってもらっているのが実情なのです」(種子田)
企業の大切な財産ともいえる熟練社員の暗黙知が失われる前に、抜本的な対策が求められているのだ。
ナレッジを可視化し「暗黙知」を使えるように
BPO(ビジネスプロセスアウトソーシング)サービスを提供するSCSKサービスウェアでは、製造業から受託したコールセンター業務のノウハウを活用し、ナレッジの可視化を進めていた。資料だけではオペレーターが回答できない情報をウィキペディアのように、注意書きのような形で資料に書き込んでいったのである。
同社では、こうしたBPO業務で培われたナレッジ可視化のノウハウを「暗黙知使えるソリューション」としてサービス化を実現した。製造業において属人化しがちな暗黙知を、デジタルナレッジ化して収集、一元管理し、誰もが取り扱いやすく、参照しやすい状態にするソリューションである。
「ナレッジの運用や管理は普段のコールセンター業務の中で行っており、そのノウハウを応用して、ナレッジをデジタル化し、製造業のBtoB向けソリューションとして提供できないかと考えたのです」(SCSKサービスウェア株式会社 第三事業本部 事業推進部 副部長 知念 まさみ)
最大の特長は、「経験タグ(マニュアルや作業書、仕様書、施工書、配電図などに付与する、業務の中で蓄積されたコツやノウハウに関するデジタル付箋)」を付与し、属人化している知識やベテラン社員だけが持っている知識を、デジタルナレッジとして誰もが活用しやすい状態に整理することだ。
このタグ付けの仕方に、同社がこれまで培ってきたコールセンター業務のノウハウが生かされている。
「よく閲覧する資料を洗い出し、問い合わせログの中からよくある問い合わせを順番に並べていきます。問い合わせ内容と回答が資料に載っていないものであれば、問い合わせ頻度の高いモノから順番に、資料にタグを張り付けていきます」(種子田)
問い合わせ頻度を軸に、製品の種類、問い合わせ内容別にナレッジを整理してデジタル化し、ウィキペディアのように、情報を追加できるようにするのだ。Webブラウザ上で検索ワードを入力すると、参照すべき資料の検索結果が表示される。
関連資料へのリンクが貼られていることも、同ソリューションの使い勝手の良さであり、特長だ。
例えば、製品のサービスガイドには様々なトラブルに対する対処方法は書かれている。しかし対処結果が数値で表示される場合、その数値が正常かはサービスガイドには書かれておらず、しばしば仕様書を見なければわからない。サービスガイドの対処法ページに、仕様書の該当ページへのリンクを貼られていれば、すぐに対処法が正しかったかを判断できる。
また、検索エンジンには「Neuron ES(エンタープライズサーチ)」を使用。機械学習による検索精度の高さも大きな特長だ。
「BtoB向け製品には、膨大な関連資料があります。作業書、仕様書、施工書、配電図などが個別に用意されており、例えば業務用空調機だけでも、何十万冊もの資料が存在します。その中から、回答を見つけなければなりません。閲覧率の高い資料を上位に表示すること。また、資料単位ではなく該当するページ単位で検索結果を表示するなど、機械学習による検索精度の向上で、慣れていないオペレーターでも、必要な情報にいち早く到達できるのです」(種子田)
こうした検索精度の向上は、繁忙期の安定運用にも寄与している。例えば業務用空調機の場合、繁忙期にはオペレーターを増員して対応するが、暗黙知使えるソリューションがあれば、慣れないオペレーターでも一次解決率の向上が見込める。
また、これまでメーカー内で対応していた技術窓口などをアウトソースし、新たにコールセンターを立ち上げる際のスピードも当然、速くなる。複数拠点で窓口を設けている場合は、スキルレベルの標準化も可能だろう。
「暗黙知」による属人化から脱却し、安定した業務運用が可能に
暗黙知使えるソリューションがリリースされたのは、2019年のこと。すでに業務空調機器メーカーをはじめ数社の大手製造業に導入している。
導入企業ではいずれも、熟練社員の知識の属人化解消が喫緊の課題だったが、同ソリューションを導入したことで、暗黙知のデジタルナレッジ化を実現した。
「その結果、これまで熟練社員に頼っていた窓口業務を、すべてアウトソースできるようになったことが一番大きな成果でしょうね」と種子田は語る。ノウハウの属人化により、これまでアウトソースが難しかったBtoB製品の窓口をアウトソースすることで、企業の財産が失われることなく、長期的な安定運用が可能になるのだ。
「技術的に対応が難しい製造業のBtoB製品対応でも、オペレーターの一次解決率は飛躍的に向上しています」(知念)
また、暗黙知使えるソリューションは、学術的な見地からも評価されている。ナレッジの構造化やメタ情報(タグ)の分類(クラスタリング)モデルの構築は、国立情報学研究所の宇野毅明教授との産学共同研究により実現したものだ。
暗黙知使えるソリューションでは製品種別や問い合わせ種別、ボリュームなどで分類しているが、中でも「問い合わせ種別に分けるところが非常に難しかった」と種子田は語る。なぜならBtoBの場合、問い合わせログには複合した要素が入っているため、どの問い合わせ種別なのか、その分類が困難であった。
宇野教授からは、「暗黙知使えるソリューションは、ユーザーによるタグ付けやオペレーター教育のためのログ分析など地道ではありますが、データの蓄積後に、AIを用いたデータ分析による企業経営や業務設計の改善を可能とする道筋を作っています。将来の進化に大変期待しています」というコメントが寄せられている。
さらなる機能拡充も計画されている。1つは検索精度をより高めること。「例えば、検索結果が20個出ていたものが現在では5~6個にまで絞り込めています。これをさらに1~2個になるようにしたい」と種子田は意気込みを語る。
2つ目はタグ付けの自動化だ。「AIを活用することで、基本的な部分については早期に実現したい」(種子田)
3つ目は検索ツールとナレッジを作成するツールを統合すること。これにより、将来的にはお客さま企業が内製でナレッジ化の仕組みを構築できるようになるからだ。
暗黙知をデジタルナレッジ化することで、将来どのようなことが実現できるのだろう。
「きっと近い未来、現場の作業員はスマートグラスをつけて作業をすることになるでしょう。音声認識機能を搭載したスマートグラスに尋ねると、その回答が出てくる。そうした未来を実現する上でも、暗黙知使えるソリューションは貢献できると思うのです」(種子田)
熟練社員の高齢化や暗黙知の属人化は、製造業だけでなく多くの企業が抱える共通の課題である。企業の財産ともいえる熟練社員のノウハウや知識が失われる前に、暗黙知のデジタルナレッジ化は、最適なソリューションではないだろうか。